山形県支部の変遷


技術士協会から県技術士会、そして山形県支部へ

1 沿 革

 日本において技術士制度が誕生したのは、昭和32年5月20日、法律第124号として日本技術士会が定められ、これに基づく第1回の技術士の試験が昭和33年7月6日行われ、991名の合格者を出し、うち登録した人は345人、日本技術士会に入会した人は211名であった。

 会員も次第に増えるにつれ東北ブロックにも技術士会の県毎の組織を作る機運が高まり、昭和45年6月に宮城県技術士協会を結成する運びとなった。その後東北各県の有志の参加を得て、昭和46年1月東北技術士協会と改称した。

 なお、日本技術士会東北支部は、昭和48年6月の定時総会で承認された。東北技術士協会は各県に理事を委嘱し運営を行ってきたが、青森県では昭和58年に青森県技術士協会を作り東北各県の先鞭をつけ、その後昭和59年秋田県、昭和62年福島県、昭和63年岩手県と山形県が結成し、ここに東北各県共陣容が整うに至り、東北6県に理事を設けそれぞれ委嘱した。

 以後、東北技術士協会、県技術士協会として歩調を合わせ活動してきたが、平成14年に至り、組織強化のため、全国統一の指針が日本技術士会本部から示され、平成15年を境に各県とも県技術士会と名称変更移行し、協会名は発展的解消を遂げることになった。

 さらに、平成24年に日本技術士会の公益法人化に併せて組織改編が行われ、県技術士会は東北本部山形県支部へと移行する事となった。平成24年7年7月26日に県技術士会としての最後の定時総会を行った後、第一回山形県支部年次大会を開催し、現在に至る。


2 山形県技術士協会の設立と技術士会への移行、そして県支部へ

 昭和63年3月、当時東北技術士協会の名簿に記載されている本県技術士は19名であった。増員のため登録されていない技術士(資格者)を人伝てに尋ね27名が知る限りの人数であった。

 昭和63年4月27日、東北技術士協会の杉江会長の臨席のもと、下記の人々が設立準備会に集まった。浅田e司、今井宏信、梅津誠司、中村次男、土生?平、原日出男、松田栄一、松本喜一、五十嵐憲夫、佐藤 隆、椎名徳夫、長谷川宣政、本田康夫、吉田 公、川田庄一、世話人は梅津誠司、五十嵐憲夫、佐藤 隆、土生?平の4名であった。

 昭和63年7月23日、山形県技術士協会設立総会を開き、規約審議、役員選出するなど、ここに山形県技術士協会が誕生した。

 平成13年に至り、これまでの協会から山形県技術士会と名称変更し、各県とも日本技術士会傘下の組織に統一する方針が本部より示された。新組織は協会員の日本技術士会入会が必須要件であったため、当協会では協会員にアンケートによる意識調査を実施するなどし、総意により移行を固めた。

 平成14年12月10日、臨時総会を開き移行を決定、事業活動などはそのまま継承移行することとし、会員33名の推薦を受け設立申請、平成15年4月1日山形県技術士会が新生発足した。会長は引き続き土生?平、副会長は鈴木多賀が担った。平成18年には山形県技術士会員は104名と大幅増加。平成24年県支部に移行後も、各会員の啓蒙活動により組織は着実に拡大し、平成28年7月31日現在、県支部会員総数142名。(総合技術管理部門15名を含む)平成29年には、山形県支部は組織設立30周年の節目をむかえる。


〜県支部元幹事井上憲治書「技術士会の生い立ちと20年の歩み」を一部加筆〜